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1962年のキューバ危機 (2)攻撃スタンバイ後の1週間
10月21日: 米国偵察機U-2は、キューバ西方に13のミサイル発射台と23機のSS-4ミサイルを確認。 10月22日: 米国はB52核爆弾機をスタンバイ。 183機のB47と161機の航空機をすべて核兵器で準備。 (米国は核爆撃機だけでキューバの17倍に相当する。) ケネディはテレビで演説: 「ソ連はキューバのミサイルを取り去るべきだ。さもないと核戦争になる。」 「ソ連船を阻止する。」 10月23日: フルシチョフはアメリカの介入と海賊行為を非難。 その時24艘のソ連船がキューバに向かっていた。 カストロは27万の兵隊を動員。 ケネディは船舶隔離(クアランティン)の命令を下す。 (完全な阻止は戦争行為となるので、防御的な検閲を選択。) 10月25日: 安全保障委員会は米ソが激しく対決。 ウタントはキューバに調停に飛ぶが不調。 10月26日: 米国海軍は船の検閲を開始。 カストロはキューバ上空飛来の米軍機の攻撃を命令。 カストロはソ連に「アメリカの侵入は差し迫っているので、核兵器での第一撃」を要請。 フルシチョフは妥協案を米国に提案: 「キューバに侵入しなければ対米ミサイルを除去する。」 10月27日: キューバはソ連製SAMを使いU-2機1機を打ち落とす。乗員死亡。 キューバのSS-4基地は完全に攻撃準備完了。 フルシチョフは妥協案を提案: 「キューバのミサイルを除去するかわりに、米国はトルコに配備のジュピターを除去せよ。」 米国はトルコとイタリアからミサイルをすぐに取り除くと回答。 10月28日: ケネディーは2番目の提案を無視し、第1案で妥協すると回答。 フルシチョフは合意。 ミサイルは除去され、危機が去った。 キューバ危機はフルシチョフの瀬戸際での妥協により、辛くも核戦争は免れたが、余りにも危険な賭けだった。 最も緊迫した10月23日から27日の間に米国、あるいはキューバのどちらかが第一撃のボタンを押すか、ないしは偶発的に暴発したならば取り返しのつかない惨劇になっていた。 北朝鮮は核を交渉材料にしているが、それは交渉相手を余りにも甘く見すぎており、決してかなわぬ夢だ。 北朝鮮はいたずらに自国をテロ国家に落とし込む危険な道を歩んでいる。 参考: La Crise des Missiles de Cuba Cuban Histry, Missile Crisis
by fumihdai
| 2005-05-03 09:19
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