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ゴルフの醍醐味はなんといってもドライバ・ショットの飛距離である。
先日、20数名のコンペに参加したウラ夫は、ワル、ヤマシ、たん助と回った。 結果はワルが82、ヤマシが85、ウラ夫は88、たん助102であった。 身の程知らずにシングルを目指すウラ夫は、この結果には失望したが、満足したこともある。 ドライバが好調で、常にワル、ヤマシ、たん助をオーバドライブしたからだ。 ケガも多いが媚薬には勝てない。 ゴルフの究極の醍醐味はドライバの飛びである。 飛ばしたときの爽快感は冷えたビール1本以上の価値がある。 最近人気の女子プロも、若い美女が飛ばしてアンダーパーを競うのが魅力だ。 しかしスコア・メイクはアイアンで、マネーはパットであることは間違いない。 ウラ夫の次の課題はアイアンである。 #
by fumihdai
| 2005-06-01 11:35
| ゴルフ
ラスベガス空港でレンタカーを借りた。
車はマーキュリー。 ナビゲータも付いている。 空港を出るとハイウェー83に入る。 途中でフーバーダムを見学。 ついでルート40を取りウィリアムズに。 ここからはハイウェー84を北上すればグランドキャニオン・サウスリムのビレッジに到着する。 比較的楽な行程である。 ビレッジはサウスリムの中心地にあり、ロッジが5件とホテルが1件ある。 ヤバパイ・ポイントからも近く、なかなか快適な環境である。 下図はサウスリムの中心地帯。バスはビレッジ・ルートとカイバブ・ルートがサービスされている。 ノースリムに至るには、ハイウェー64を東にとり、キャメロンから北上、渓谷を大きく迂回する。 下図はリムの西方向(ウェストリム)。無料のリムジンバスがサービスされている。一般車は乗り入れできない。 fumihdaiの写真ブログ #
by fumihdai
| 2005-05-29 21:53
| ブログ小説
今年の春は久々の朗報だが、まだ楽観は出来ない。
3組のカリフォルニア・コンドルのつがいに雛が生まれる可能性が出てきたのだ。 しかし卵が孵化し雛鳥が顔を出すまで、あと2ケ月かかる。 コンドルは断崖絶壁の洞穴に巣を作るため、卵の存在が確認できない。 コンドルはかっては群れをなして大空を飛んでいた。 コンドルは氷河期の終わり1万2000年前頃から、北アメリカに生息していたことが確認されている。 しかし文明人が西部に渡ってきてからは激減し、絶滅の危機を迎えた。 そして1980年代、最後の1組になったとき、人間はこれを捕獲し人工的に種を増やす試みを始めた。 1996年、北アリゾナがカリフォルニア・コンドルの育成地に指定された。 人工的に孵化させ自然の中に離す。 その試みは成功しつつある。 現在、グランドキャニオン国立公園周辺で25組から30組のコンドルが自然の中で生息していると見られている。 4月になり暖かくなると、若い鳥が飛行を試みるようになる。 コロラド川の上を試しに飛んで巣に戻る。 成鳥はナバホ橋までの飛行を行い、あるものは更にパウエル湖にまで至る。 また逆にエサが置いてあるグランドキャニオン国立公園に飛んでくる。 カルフォルニア・コンドルは翼の長さが9フィート50もある。 成鳥は頭部が禿げて色は橙色。 大型の動物(牛、羊、鹿)の死骸を食べるほか、りす、うさぎ、なども食べる。 4000メートル以上の高空を力強く飛ぶ。 地表が太陽で熱せられ、熱風が上昇気流となると、コンドルはそれを捉え何時間でも飛んでいる。 原住民は、コンドルは雷を起こすと考え、「サンダーバード」と言って崇拝した。 目を凝らせばコンドルが見えるかもしれない。 下記でグランドキャニオンの写真を掲載中です。: fumihdaiの写真ブログ #
by fumihdai
| 2005-05-27 20:38
| ブログ小説
これは米国西部がまだ未開の時代に、コロラド川の急流を下りグランドキャニオン地帯を最初に探検した冒険者の物語です。
その男の名はジョン・ウェズレー・パウエル。 この男、晩年の写真を見ると、眼光爛々として豊かなほほ髭を蓄え、辺りを睥睨している。 彼は生まれながらの命知らずの冒険男であった。 また動物学、植物学、地質学に精通していた。 パウエルは22歳のとき、既にミシシッピ川を単独で下り、ピッツバーグからはオハイオ川の川下り、さらにイリノイ川の川下りをしながら化石や鉱石を求め冒険旅行をしていた。 南北戦争が始まると、志願して少尉になり転戦、彼はシャイローの戦いに参加し、ピッツバーグで右腕をなくした。しかしそれにめげず、傷が癒えると再び戦線に戻り戦った。 南北戦争が終わり、1865年に少佐で退役すると、地質学の教授およびイリノイ・ウェズリャン大学の博物館の学芸員となり地質学を教えた。 しかし冒険心が再び燃えさかり、じっとしていられず、コロラド川流域の探検を開始した。 彼は35歳であった。 1869年、ワイオミング州グリーン川の小島から、彼が集めた9人と共に1000マイルの川下りをスタートした。使ったのは木造の4艘の船で、激流に打ち勝つには一寸荷が重すぎた。 1ケ月後には船を1艘失い、食料も大半は失っていた。 この危険な川下りに耐えられず、途中で1人が去り、更に3人が去った。 後に聞くところによると、下船した3人は、文明の地に戻る前にインディアンに殺された。 パウエルは旅を続けた。 グリーン川はグランド川と合流し、コロラド山脈の雪解け水を集め激流となりコロラド川となった。 コロラド川はスペイン語で赤い川の意味である。 コロラド川はグランドキャニオンの渓谷を削りながらメキシコ湾に注ぐ。 パウエルはグランドキャニオンの真中に上陸した。 彼ら一行は大歓迎を受けた。 パウエルは米国西部を広げ、あわせて彼の理論を実地に証明した。: すなわち、コロラド川が最初にカイバブ高地を穿ち、その後の高地の隆起が渓谷の形成を更に助けた、と云うものである。 彼は米国地質調査のディレクタになり、スミソニアン民俗学のディレクタも勤めた。 彼は1902年に死去した。 現在はアーリントンの墓地に眠っている。 #
by fumihdai
| 2005-05-26 21:09
| ブログ小説
今日は北アメリカ、グランドキャニオンの地層に関するお話。
グランドキャニオンの起源は比較的新しく、コロラド川が約600万年前に大地を浸食し始めました。 また、コロラド高原の隆起があり、それがコロラド川の侵食を進めました。 峡谷自体は比較的新しい起源ですが、壁に露出した岩は非常に古いものです。 峡谷エリアは白亜紀(144-65百万年前)には、浅い海の底で、壁は海底堆積物で構成されています。 最低基部のビシュヌ片岩は17億年前、最上部のカイバブ石灰岩は260百年前のものです。 峡谷の断面は典型的に9ないし12の岩層が見られます。 最上層はカイバブ石灰石です。 この層の下に、コロニノ砂岩と呼ばれる砂岩の層があります。 その下にはへルミート頁岩として知られている柔軟な頁岩の層。 さらに下にはスーパイ構成と言われる一連の頁岩および砂岩です。 スーパイとその上の化石は、2億2500万〜2億8000万年前のペルミアン紀に堆積されました。 次に薄い灰色の青の赤壁石灰石がきます。 これはスーパイ層からの浸出で赤に着色されています。 赤壁は厚さ150メートルで、峡谷壁で容易に識別されます。 この層は、ミシシッピ紀(3億6000万〜3億3000万年前)に属します。 赤壁の下のテンプル・ビュートの砂岩の薄い層は、デボン紀(4億1000万〜3億6000万年前)のものです。 次の褐色のムアブ石灰石層、緑の明るいエンジェル頁岩層、タピーツ砂岩層はカンブリア紀の初め(5億7000万〜5億年前)に属します。 峡谷の底は、5億〜10億年前のプレカンブリア紀の片岩および片麻岩の最古の岩があります。 (中学の理科の時間) #
by fumihdai
| 2005-05-25 07:13
| ブログ小説
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