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これは米国西部がまだ未開の時代に、コロラド川の急流を下りグランドキャニオン地帯を最初に探検した冒険者の物語です。
その男の名はジョン・ウェズレー・パウエル。 この男、晩年の写真を見ると、眼光爛々として豊かなほほ髭を蓄え、辺りを睥睨している。 彼は生まれながらの命知らずの冒険男であった。 また動物学、植物学、地質学に精通していた。 パウエルは22歳のとき、既にミシシッピ川を単独で下り、ピッツバーグからはオハイオ川の川下り、さらにイリノイ川の川下りをしながら化石や鉱石を求め冒険旅行をしていた。 南北戦争が始まると、志願して少尉になり転戦、彼はシャイローの戦いに参加し、ピッツバーグで右腕をなくした。しかしそれにめげず、傷が癒えると再び戦線に戻り戦った。 南北戦争が終わり、1865年に少佐で退役すると、地質学の教授およびイリノイ・ウェズリャン大学の博物館の学芸員となり地質学を教えた。 しかし冒険心が再び燃えさかり、じっとしていられず、コロラド川流域の探検を開始した。 彼は35歳であった。 1869年、ワイオミング州グリーン川の小島から、彼が集めた9人と共に1000マイルの川下りをスタートした。使ったのは木造の4艘の船で、激流に打ち勝つには一寸荷が重すぎた。 1ケ月後には船を1艘失い、食料も大半は失っていた。 この危険な川下りに耐えられず、途中で1人が去り、更に3人が去った。 後に聞くところによると、下船した3人は、文明の地に戻る前にインディアンに殺された。 パウエルは旅を続けた。 グリーン川はグランド川と合流し、コロラド山脈の雪解け水を集め激流となりコロラド川となった。 コロラド川はスペイン語で赤い川の意味である。 コロラド川はグランドキャニオンの渓谷を削りながらメキシコ湾に注ぐ。 パウエルはグランドキャニオンの真中に上陸した。 彼ら一行は大歓迎を受けた。 パウエルは米国西部を広げ、あわせて彼の理論を実地に証明した。: すなわち、コロラド川が最初にカイバブ高地を穿ち、その後の高地の隆起が渓谷の形成を更に助けた、と云うものである。 彼は米国地質調査のディレクタになり、スミソニアン民俗学のディレクタも勤めた。 彼は1902年に死去した。 現在はアーリントンの墓地に眠っている。
by fumihdai
| 2005-05-26 21:09
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